噴水がある公園にさしかかったとき、コヨミさんの足がとまった。 「俊成よ」 球体関節人形のパーツを専門にとり扱っている店に行った帰り道。上機嫌に鼻歌まで歌っていた雇い主が、やけに真摯な声を出す。なにか面倒なことが起こるな、と直感した。 「なんですか」 黒い地に、やけに装飾された読みづらい字体で、白く店名が描かれている大きな袋を持ちなおす。薄青の花が咲き乱れる着物に紅色の羽織を重ねているコヨミさんは、一点を凝視したまま動かない。 視線を追うと噴水の側でアイスクリームを食べている二人組にたどり着いた。ひとりは俺と同い年くらいの大学生だ。もうひとりは、どこか座敷童をほうふつとさせる女の子だった。 「アイスを食べよう」 改めて雇い主の姿を見る。寒そうな着物に、白い足袋に下駄。もともと白磁のような肌は、寒さで蒼ざめていた。華奢な指の先は赤みを帯びている。晩秋の風にあおられ、肩に届く長さの黒い髪が揺らいだ。 「だめです」 今朝のニュースで、今日は真冬並みの気温だと言っていた。そんな日に冷たいアイスクリームを食べたくない。そもそも楽しげに談笑しているあの二人組は、なぜ平気そうに氷菓子を口にしているんだ。 「とーしーなーりー」 地を這うような声で催促される。俺より頭ひとつ分ほど背が低いコヨミさんを見下ろすと、威圧的に睨みあげられた。彼女の助手となって三週間。叶えさせられたわがままは数知れず。 だが、今回ばかりは退けない。 「こんな日にアイスを食べたらおなかを壊します。そうすると俺が怒られるんです」 コヨミさんの本来の世話係である、鶯という癒し系美人巫女さんに。鶯さんに片想い中の俺としては、彼女の心象を悪くしたくない。 とはいえ、お菓子を主食にしているような暴君はあっさり納得してくれなかった。 「俊成よ、私の命令が聞けなくなったか」 ひっと喉が鳴る。つり目をさらにつりあげたコヨミさんの体から、殺気のようなものが噴出していた。たぶん俺の幻覚だろうけれど、心臓が縮むほどに怖い。調教の成果と言うやつだ。 「アイスが食べたい。異論は?」 「……鶯さんに怒られます」 「やつには言って聞かせる」 不摂生の極みめ。心の中で叫びつつ、結局、コヨミさんに従うしかないのだった。俺が抵抗の意思を失ったことに満足したらしく、和装の雇い主は薄い唇を吊り上げる。 「でもアイスなんてどこで売ってるんですか」 近くにコンビにはない。いくつかのショッピングモールやビルが見えているが、果たしてどこにアイスクリームなんて売っているのだろう。大学生と座敷童が持っているものを盗み見る。本人たちに聞いてみようか。 「あったぞ、雑用係」 「助手って言ってください。あと勝手に離れないでください」 人ごみにまぎれたまま迷子になることが特技のコヨミさんは、いつの間にか一枚のチラシを手にしていた。尋ねる手間は省けたものの、人が多い公園で消えられては困る。 彼女はふてくされたように鼻を鳴らし、ずいっと俺にチラシを突きつけた。ついでに腹を軽く殴られる。人形の服や眼球が入っている袋を危うく落としかけた。 「世界のアイスクリーム、ですか」 「アクアセルティというところの八階でやっているらしい」 文句を言っても俺が心に傷を負うだけなので、大人しく周囲を見回す。すぐに同名の建物が見つかった。まだきょろきょろしている彼女に、ありましたよ、と教えて歩き出す。 ほんの少し目を離していた隙に、例の二人組は人にまぎれて見えなくなっていた。アイスクリームを食べたくなったきっかけである人々のことはもうどうでもいいのか、コヨミさんはまったく気にせず歩を進めている。 少し早足になって肩を並べると、まだ見ぬ氷菓子に心を躍らせている不摂生娘は目元を和ませた。いや、娘と言っても俺より二歳、年上なんだけど。 「こうしていると、コヨミさんも普通の女の子なんだよなぁ」 言霊の恩恵を生まれながらに強く受け、和歌を操り、死者の未練を浄化する“歌詠み”と称される特殊な職についているうえ、実は家出娘で現在は神社に身をよせているなんていう冗談みたいな背景があるとは思えなかった。二十三歳という年齢相応、あるいはそれ以下の無邪気さがある。 「なにか言ったか」 「いいえなにも。食べすぎないでくださいね」 「任せろ」 傲慢な口調で、得意げにあごをあげて請け負うときの彼女は、絶対に信用してはならない。だからといって、俺の進言が聞き入れられるわけでもない。 ため息をさらうように吹いた夕刻の風には、冬の気配が含まれていた。 |