その日は、真冬並みの寒さなので外出時は防寒対策を怠らないようにと、テレビで天気予報士の男性が言っていた。だからダウンジャケットの裏側にカイロを四枚も貼り付けた上にマフラーと手袋という完全防備で街に繰り出したわけだが、 「少し大袈裟だったかな」 と、思わず呟いてしまうのも仕方がないことだった。何故なら、先程目の前を通りすぎていった二組の若い男女が、アイスクリームを手にしていたからである。特に、青い花が優雅に咲き誇る着物を身に付け、真っ赤な羽織を羽織った女性は、彼女の方が薄着に思えるのにも関わらず、心底嬉しそうにしていたものだから、あるいは真冬並みというあれは大言壮語であったのではないかと思わざるをえない。 「お待たせしました、白森さん」 その男女が歩き去っていく後ろ姿を、ぽけーっと眺めていたところ、聞き覚えのある声が俺を呼んだ。 「綾さん、もう大丈夫ですか?」 「ええ。次はいよいよ食料品です」 綾さんは楽しそうに意気込んで言った。 今、俺と綾さんは買い出しのために地上へと出て来ている。俺は荷物持ちとして同行した。 俺たちが共同生活を送る地下のホームからは、そう頻繁に買い出しに来られない。したがって、たまの買い出しではどっさりと買い込まねばならず、か弱い女性一人にその苦を全てしょい込ませるのも酷なため、こうして誰かが荷物持ちとして同行するのが決まりだった。 「さっき何しに行ってたんすか?」 大通りを歩いている最中、なにかを思い出したらしい綾さんが急に「すみません、すぐ戻るんでここで待っとってください」と言い、どこかへと行ってしまった。ここで冒頭へと繋がるわけだが、約十五分ほど、俺は道の脇で寒々と立ち尽くしていた。 「ああ、えっとですね、確かこの近所に大好きなパン屋さんあったんちゃうかなあと思って。で、そのパン屋さん、毎日数量限定でベーグルサンド販売しはるんですが、これがもうめっちゃ美味しいんですよ! ほんで、あったら買(こ)うてこ思たんですが……、やっぱり売り切れてました……」 綾さんは残念そうにそう言い、苦笑する。その時ふと、そういえばこの娘(こ)俺より年下なんだっけ、と思い出した。落ち着いた言動、行動、仕草、雰囲気から、どうも俺より大人に思えて仕方ないのだが、彼女、藤林綾は、間違うことなく、若いのである。 「綾さんも、女の子だもんな」 「いま、なんて?」 「や、なんもねっす」 振動。右側のポケットにはスマートフォンをつっこんでいる。寒い寒いとぼやきながらポケットに手をいれ、スマートフォンを取り出した。液晶には『Randy』との表示が出ている。本人たっての希望で、英表記なのだ。彼はランディ。いわゆる同僚で、一つ年上のアメリカ人の男性である。 何の用だろうか、と通話ボタンをタップするや否や、賑やかな音がまず耳に入った。バザーのような、フェスティバルのような。遊んでいるのだろうか、彼は。 「よう信也!」 「なんすか」 「へっへー、俺ら今何してると思う?」 実に楽しげであることは心底伝わる声音に、俺は思わず溜め息を吐いた。 「俺ら買い出しの最中なんで。じゃ、」 「やだ白森きゅんそっけなーい」 「素っ気ない素っ気ない!」 「素っ気ない白森、だからモテない」 「モテないーっ」 「お前らも一緒なのか……」 輪唱するように揶揄る2つの声は、男女の違いこそあれどことなく似た響きをしている。同僚、と呼ぶにはいささか幼い双子の声だ。彼らはいつもこうして、ランディさんの真似をして俺をからかってくる。逐一抵抗する余力など、俺にはなかった。 彼らからの賑やかな通話を切り、再び溜め息を一つ吐く。隣に並ぶ綾さんは、くすくすと肩を揺らして穏やかに笑っていた。 「ランディさんですか?」 「はい」 「ほんまに仲良しですねえ」 「少しは飽きてほしいっすけどね」 「ふふふ」 そうこう話しているうちに、目的地に到着した。とある大型スーパー。ここは綾さん曰く、物価の高い都内にありながら、最も安値ということで有名だそうだ。それでも玉出には負けますけどねと綾さんは笑って言ってくれたが、大阪の商業事情はよくわからない。 「さて!」 「はい」 「白森さん、気合いいれてくださいね」 「へ?」 「あと三分でタイムサービス始まりますから。大した収穫得やんかったときは…………わかりますね?」 にっこりと微笑む綾さんの、その本気度に、思わず背筋が凍る。 その数分後、そこに鬼神と化した彼女の姿を見ることになるのだが、俺は何も見なかった。 見なかったのだ。断じて、何も。 |